かぎりなく私的な
昔の絵。fini terre。さいはて。木炭、黒曜石、顔料、テンペラ、油彩。
この世界の区分に倣えば私の描くものは抽象絵画やフィールドアートということになるらしいが、ご覧のとおり漠としたものを好んで描いてきたので、その漠とした空間に密度を持たせたくて、いつしか西欧中世の絵画にのめり込むようになった。
とはいえ、祭壇画の聖書世界に惹かれたわけではなく、ひたすらその技法にのみ魅せられた。金銀箔の燻し焼き、作為的な亀裂、手練りゆえに不揃いな粒子の顔料、雪花石膏によるアプソルバントな基底材、テンペラにワニスを重ねる過渡的な(疑似油彩画的な)繻子のような半光沢の輝き──。
祭壇画のモチーフよりその背景に塗り込められた絵具層ばかり眺めていたわけだが、それらの技法は祭壇画とはまったく異なる私の絵に大いに役立つものばかりだった。
そしてそれは描画のさなかに起こる夢なので、その夢に酔っているのは絵描きだけという、かぎりなく私的な話になるわけだ。
春のジャメヴュ
いかにズボラな私でも、二月も半ばというのにサブタイトルに Happy New Year もなかろうということで、本宅のカバーフォトをようやく更新した。このサブタイトルがなかったらずっと放置していたと思う。 モデルは愛犬と友達。ワークショップサイトのアイテム(mama!milk キャミソール)のために去年の秋に撮影した写真である。間もなく春なのに、秋の写真で申し訳ないと思いつつも、光の感じは春も秋も似たようなものじゃないかと思ったり(いえ、似ていません)
光のせいなのか春にはしばしばジャメヴュを感じる。見馴れているはずのモノや光景が、初めて目にするもののように感じられてならない。長い時間、いつもの角の電柱を眺めていたり、いつもの小路の壁の亀裂を眺めていたり、春になると変な人が増えるのは我が身をふりかえってよく分かる。
それにしてもこんなに暖かい二月は初めてだ。寒がりの私にはありがたい陽気だが、暖冬のせいで積雪地域では雪が不足し、雪解け水を必要とする稲作に大打撃を与えるだろうと言われている。桜の開花もかなり早くなるらしい。デカダンスはふたつのエコ(エコロジーとエコノミー)をないがしろにする。たとえば、毒性の顔料ほど美しかったりするわけで、不謹慎な私はカドミウムレッドの絵具を雪解け水に垂らしたら、さぞ美しいだろうと夢想してしまう。エコノミー的には無駄であり、エコロジー的には害である。こんな輩がいるから地球はますます雪崩れていくのだろうが、夢想するだけなので、春酔いの戯言ということでお許しを。
Carpe Diem
あえて聖ヴァレンタインの日にお届けする否カップルなミニ芝居オムニバス『アンチ・カップル2007』。今年で6回目を数えるが、今回のテーマは蕾(つぼみ)である。
何とも乙女チックなお題で、私のテイストとは程遠い。どうしたものかと唸っていたら、脚本仲間のカオリの寄越したフライヤの草案に「Carpe Diem」の文字があった。ホラティウスの詩句で来るとは嬉しい意外さである。演目のタイトルを決めなければフライヤができないので、いまだに何を書くか決めていない私はこの詩句をそのまま自分の脚本のタイトルに頂戴することにした。カルペ・ディエム(今日の花を摘み取れ。つまり、今を楽しめ)という漠然としたタイトルならば、話はどうにでもなる。
ちなみにこの快楽主義的な詩句は、メメント・モリと連句になっている。死を想え、生には限りがある、ゆえに今を楽しめ、というわけだが、しかしキリスト教が禁欲的傾向を強めるにつれてメメント・モリの意味合いも諸行無常ふうに解釈されるようになった。
思いつきの推論だが「一期一会」も本来はカルペ・ディエムと同じ意味だったのではないか。明日の命はないかも知れない。ゆえに今日の酒は今日のうちに呑め。そうに違いないと決め打ちして、脚本に取りかかる前に、まずは一杯やることにしよう。
マイノリティ・パブリッシャー
謹賀新年 & Bonne Année。
早くも呑み疲れの元旦の昼。一年の計というわけではなく、そもそも計画どおりの日々を送ったためしもないのだが、今年は何となく出版社をやってみたい気分なのである。とはいえ、かぎりなくゼロに近い資本しかないので、気負って目標とか計画とか呼べるほどの事業でもなし、新刊書を矢継ぎ早に出すなんて出来ないし、せいぜい一作品あたり百部ほど、セレクトは私の純粋な趣味で、ただひとえに、私の愛する書き手さん(または描き手さん)の作品を少しずつ、ゆるやかに、忘れた頃にカタチにしていくだけの話だが。
ちなみに上図は遊びで作ったサンプルである。『カンパネルラの暗号』なんて本は存在しないし、ジョヴァンニ・イーハートヴという作家も実在しない。「銀河鉄道の夜から七十五年の歳月が流れ、ある日、老いたジョヴァンニのもとにカンパネルラから謎めいた一通の手紙が届いた…」という、それらしい帯があるわけでもないし、誰かがそれを執筆中ということでもない。
スモールで私的な出版社であっても、印刷や製本は本格的にやりたいので、上図のような文庫本スタイルならば色厚紙の表紙+フルカラーのカバーを付ける予定なのだが、欲を言えば、ルリユール(装幀術)の作家さんと組んで稀少本が作れたらなお楽しいのに、と夢想したりする。
大部数印刷+全国流通というパブリッシングの常識にはもう飽きてしまった。電子出版にしても狙いはやはり多くを売ることであり、しかも特殊なデバイスや携帯向けなので、それらで読みやすい作品を作るという、本末転倒な、しかしその本末転倒に気付かない(あるいはドーデモイイ)読者を対象に頑張らなきゃいけない。まったくマジョリティとは退屈だなと思うばかりだが、まあそんな反動もあって、好きなものを好きなようにカタチにすることにした。ゆるい企画なので、ときおり、ゆるい報告を書かせてもらうかと思う。頽廃をめぐる八つの質問
頽廃をめぐる八つの質問
壱:繰り返してもよい愚行はなんですか
弐:五感の中で捨ててもよいものはなんですか
参:美しい卑語(差別語や卑猥語など)をあげてください
四:大切だからこそ捨てたいものはなんですか
伍:無益(または有害)だからこそ持ちたいものはなんですか
六:裸足で踏んでみたいものはなんですか
七:不幸であり幸福でもあるものはなんですか
八:どんな情況で夕日を眺めたいですか
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すべての問ひに答へる必要はありません。
ひとつだけでもどうぞ。お持ち歸りもご自由に。
ただ一言の囘答でも、理由を含む囘答でも
すべてあなた任せです。といふことで、言ひ出しつぺの私から。
問ひ:繰り返してもよい愚行はなんですか
答へ:日々の目覺め
ミクシィで私の管理するコミュニティ『頽廃主義』のトピックから引用。
興味のある方は遊んでみて下さい。
このブログも頽廃的というか、廃れてますな。
九月はもうちょっと多めに書こう。