item44

春のジャメヴュ

Posted : 2007/02/10
kotby_s.jpg

いかにズボラな私でも、二月も半ばというのにサブタイトルに Happy New Year もなかろうということで、本宅のカバーフォトをようやく更新した。このサブタイトルがなかったらずっと放置していたと思う。 モデルは愛犬と友達。ワークショップサイトのアイテム(mama!milk キャミソール)のために去年の秋に撮影した写真である。間もなく春なのに、秋の写真で申し訳ないと思いつつも、光の感じは春も秋も似たようなものじゃないかと思ったり(いえ、似ていません)

光のせいなのか春にはしばしばジャメヴュを感じる。見馴れているはずのモノや光景が、初めて目にするもののように感じられてならない。長い時間、いつもの角の電柱を眺めていたり、いつもの小路の壁の亀裂を眺めていたり、春になると変な人が増えるのは我が身をふりかえってよく分かる。

それにしてもこんなに暖かい二月は初めてだ。寒がりの私にはありがたい陽気だが、暖冬のせいで積雪地域では雪が不足し、雪解け水を必要とする稲作に大打撃を与えるだろうと言われている。桜の開花もかなり早くなるらしい。
デカダンスはふたつのエコ(エコロジーとエコノミー)をないがしろにする。たとえば、毒性の顔料ほど美しかったりするわけで、不謹慎な私はカドミウムレッドの絵具を雪解け水に垂らしたら、さぞ美しいだろうと夢想してしまう。エコノミー的には無駄であり、エコロジー的には害である。こんな輩がいるから地球はますます雪崩れていくのだろうが、夢想するだけなので、春酔いの戯言ということでお許しを。
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item36

サンタクロース文化圏

Category : 旅の記録
Posted : 2006/12/20

Cover Photo for Katati.com

カタチ本宅のカバーフォトをノエル(クリスマス)バージョンに更新した。
といってもギリシアの島の小さな教会の写真に替えただけで、しかも、またしてもそれが何処の島だったか記憶にない。アテネから近海クルーズのフェリーに乗り、エギナ、ポロス、イドラの三つの島を巡った。そのどれかである。写真を見てお心当たりのある方はメールフォームからこっそり教えていただけるとありがたい。

ちなみにアテネはお世辞にも見目麗しい都市ではなかった。
先のオリンピックでも問題になったが、光化学スモッグがひどいのである。最大の収入源が観光産業であり、歴史のあるお国柄ゆえ、地面を掘れば遺跡がごろごろ出てくる。それらは観光の目玉商品なので、当然、地下鉄工事より遺跡保存が優先される。旧市街地にしても観光優先で古代からの街並の改造などもってのほか。路面電車も無理だし、地下鉄も発達しないということで、市民の足はやむをえず自家用車に限られてしまうわけだが、その車たちがまたどれも恐ろしく年季が入っているのだ。
私が初めてアテネを訪ねたのはちょうど昭和天皇の崩御の月で、その頃から光化学スモッグの規制対策らしいことはやっていたようだが、その規制たるや、奇数日にはナンバープレートの末尾が奇数の、偶数日には偶数の車しか走るべからずというユニークな、しかし効果のほどが怪しい代物。市民の多くは奇数と偶数の両方のプレートをこっそり所有しており、毎日それを入れ替えているとのことで、まったくの死に法と化していた。
白い(はずの)大理石の街並は、年代物の車の吐き出す排気ガスのせいで灰色にくすみ、遺跡の街というより工業地帯のコンクリート倉庫群のような印象を与えた。アテネ巡りは一日で充分だ。スモッグから逃げ出して、あの青きエーゲの海へ向かうべし、ということで私はすぐさま船に乗り込んだ次第である。

ところでギリシアといえば、カトリックでもプロテスタントでもなく、ギリシア正教なので、クリスマスを迎えてもサンタクロースには縁がない。というか、そもそもキリスト教文化とサンタクロースは縁がない。あの赤と白のおめでたいコスチュームのじいさまはコカコーラ・ボトラーズのCMキャラクタから生まれた二〇世紀の神話であり、ニューヨーク市民の多くがオランダからの移民だったため、オランダの古代聖人ジンタクロスに因んで誕生させた商業戦略のたまものである。フィンランドのサンタクロースのふるさとにしてもフィンランド観光局によるアイデアだ。
世界中の人々がクリスマスを祝うという迷信ほど激しい迷信はない。非キリスト教圏の人口、アジアや中東、とくにインドや中国という巨大人口地帯を考えてみてほしい。サンタクロースに至っては盛り上がるのは日米韓だけと言っていいだろう。野球みたいなものであり、しかし野球は世界スポーツではない。
ゆえに、個人的なメッセージだが、娘よ。君はもう大人だし、クリスマスプレゼントは無いものと思ってくれ。
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item14

ミディ運河

Posted : 2006/03/24
Canal de Midi

本宅のカヴァーフォトを更新。我ながら近頃、真面目である。
この写真を撮ったのは数年前の冬の終わり。中世最大の城郭都市カルカソンヌへ向かう橋の上から使い捨てカメラで撮影。黄昏時の暗い光線だったにもかかわらず、橋の手すりを三脚替わりにしたおかげで手ブレなし。使い捨てカメラも莫迦にできない。

ミディ運河は一九九六年に世界遺産に指定されたらしい。地中海に面したトー湖から大西洋へ流れ出るトゥールーズのガロンヌ河へとつづく、全長二四〇キロにおよぶ長大な運河である。十九世紀に鉄道運輸にその座を取って代わられるまで、地中海沿岸と大西洋沿岸を結ぶ貴重な輸送ルートだった。
この運河の存在を教えてくれたのは飲み友達のT教授。鉄道史が専門で、なんちゃない研究論文を書いて(失礼)JRから助成金を巻き上げ、その金でフランスで呑んだくれるというロクデナシ仲間である。T教授が南仏の我が家へ遊びにきたおり、ミディ運河を見学に行かないかと誘われた。そんなものがあるなんて知らなかった。いや、目にしたことはあったはずだが、ただの河だと思っていたのだろう。

見にいったものの、やっぱりただの河にしか見えない。現在は無用の長物と化し、観光客相手の運河クルーズが人気を博しているらしい。クルーズ船に乗ってトゥールーズまで辿っていけば、この運河の壮大さが実感できるかも知れないが、この船遊びを楽しんでいるのはお年寄りばかりである。船足は遅く、途中途中にある閘門(ロック)で一時間あまり待たされる。閘門の沿岸にはカフェが立ち並び、船客たちは下船してカフェで一杯やりながら待機するという仕組み。のんびりというか、チンタラというか、時の流れがゆるく感じられる年代になってから乗ってみようと思った。
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item13

出発

Posted : 2006/03/20
モンペリエ駅

アルバムを一冊アップ。アルバムといっても八枚しかない。タイトルは「出発」。愛と青春の旅立ちみたいなタイトルだが、バックパッカーを狙って撮った何でもないスナップである。その時期、仕事が立て込んでいたにもかかわらず、放浪癖がむくむくと頭をもたげ、しかし何処へも行けないフラストレーションがこんな写真を撮らせたように思う。旅ばかりしてきたくせに、旅立つ人がうらやましい。ただそれだけの写真である。

「写真はなにものでもない。私が興味を覚えるのは人生だ」と言ったのは、確かアンリ・カルティエ=ブレッソンだったか。「人生」というのは大げさだが、それを「人間」に置き換えるなら私も同感だ。写真はなにものでもない。絵画もなにものでもない。文学もなにものでもない。表現はなにものでもない。「創る」という字は気負い過ぎている。「作る」や「造る」で充分だろう。人為とはそんなものだ。

それにしても今回のアルバムは、いままでに増して退屈な写真たちである。私自身が退屈していたのだろう。
退屈はモノを作る糧である(私の場合)。芸術は爆発ではなく、退屈である。有っても無くてもよい代物だ。ひと切れのパンや一杯の水にも劣るその虚しさをよりはっきり噛みしめるために何かを作る。無為の確認。そんな感じだな。そうやって我が身の無益さを知るのは良いことだ。

写真はなにものでもない。人生もなにものでもない。だが、興味だけは覚える。
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item12

ある人々と他の人々

Posted : 2006/03/11
Les Uns ET Les Autres vol.02

フォト集 Les Uns ET Les Autres vol.02 をアップ。リニュオープン二日目にしてさっそくの更新とは我ながら見上げたものである。いまのところ。
ちなみにこのタイトル、クロード・ルルーシュの映画『愛と悲しみのボレロ』の原題として知られている。実にいい映画なんだが、邦題はひどいもんだ。直訳すれば「ある人たち、他の人たち」で、要するに「人それぞれ」といったクールなニュアンスなのに、邦題では何とも暑苦しくてベタベタだ。愛とナントカのナントカは苦手だいう人がいたらこの映画にかぎってはベタな愛もベタな悲しみもないのでお薦めである。

話は戻り、愛と悲しみの更新報告の続きを。
どうやら私は風景よりも人物写真が好きらしく、今回アップしたようなたぐいなら木箱(ワインの箱)三箱分ほどある。通りすがりの人なら撮影後に肖像権の許諾を得、友人の場合なら肖像権なんぞ黙殺している。
人間は面白い。まさに「人それぞれ」で、いろんな人種、いろんな職種があり、スカしていたり、アホやっていたり、カメラを意識しない人もいれば、過剰に反応する人もいて、何かしらのコミュニケーション(ディスコミュミケーションも含めて)が撮る側と撮られる側に起こる。
風景写真になるとその被写体はどっしりかまえた大自然だったり建物だったりするわけで、四季折々、天候折々の千変万化はあるものの、撮り手を意識して変化するなんてことはない。人と自然を分かつどうしようもない断絶感も嫌いじゃないが、含み笑いしたくなるような面白さから言えば、やはり天為よりも人為だろう。とはいえ建物は人為だから人間っぽい面白みがあるな。

御託はともかく、三箱分のフォトの中から目星いものをみつくろって、これからもぼちぼちとアップしていく予定。また、アップ後に数枚追加したり、写真の途中にテキストを挟んだり、隠しボタンを仕込んだりなどなど、いろいろと手を加えていくつもりなので、ときおりチェックしていただくとありがたい。
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