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リレー式エントリ企画スピイクスリリイの第5弾は、もそさんからのお題で『理想の恋人』である。
参ったなぁ。またしても難解で赤裸々なテーマである。かなり長く人間をやってきたつもりだが、幼少期から老体の現在に至るまで、私のボキャブラリに『理想の恋人』というフレーズは存在しなかった。お題を頂戴して生まれて初めて考えてみたものの、さっぱり何も思い浮かばない。さて、どうするか。

付き合った相手はみんな理想的だった──などと言うと「自惚れんじゃないよ」という声が返って来そうだが、私は体質的に惚れやすいらしく、惚れてしまえば必然的に「あばたもえくぼ」になってしまうのが人情ではないか。
理想的だから惚れたのではなく、惚れた相手だから理想的に見えるという図式。これまで一度も『理想の恋人』について妄想を逞しくしたことがなかったのは、そういうカラクリゆえではなかったかと自己分析してみる。

好みのタイプがないわけでもないが、タイプなんて或る種の「刷り込み」のようなものだろう。文学と恋愛の達人だったゲーテ先生は、なぜか斜視の女性に惹かれてしまう自分を不審に思い、幼少期のおぼろな記憶を懸命に探ってみたところ、ある日、幼い自分を世話してくれた乳母が斜視だったことを思い出した。刷り込みの原因が分かってしまってからは斜視の女性に心惹かれることはなくなったという。
にもかかわらず、ゲーテ先生はその後も性懲りもなく一目惚れを繰り返している。いろんなタイプの刷り込みを抱えていらっしゃったのだろう。しかし斜視の女性の究明以来、その後の刷り込みについてタネ明かしをやった形跡がない。おそらく、いちいちタネを明かすのは恋の醍醐味を損なうと判断したのかも知れない。のぼせないと高揚していかない恋という感情を心理学的に分析するなんて不粋であるということだろう。
ということはつまり『理想の恋人』とは何かを考える行為は、自家中毒というか、自分自身による自分への刷り込み行為であると同時に、あまりに分析的過ぎると恋への冷却作用が働くというパラドキシカルなキーワードということになる。
恋への憧れとして『理想の恋人』の妄想を逞しくする人もいれば、恋への自己防衛としてそれを冷却作用に活用する人もいるということで、そのあたりは実に分かりやすいベタな人間心理、ヘボな脚本家が良く使うパラドックスでもある。

ちなみに私は「理想の恋人」という言葉には馴染みがないけども、五年ほど前に「季節の恋人」ということなら考えたことがあった。
ちょうどその時期、父が病に倒れ、痴呆症というわけではないのだが、かなりの部分の記憶を喪失した。そして、何を思ったか、父は突然、再婚したのである。その相手はこれまでの父の恋人とはまるで違うタイプで、金儲けに血眼で、中洲遊びに明け暮れて、洒落たスーツでクローゼットをいっぱいにしていた快楽主義な父が選ぶ相手としては、かなり地味な女性、酒もグルメもファッションも知らない、根っからの奉公人タイプの、息子からすれば「親爺、気は確かか?」と問いただしたくなるような、つまりとても世話好きな良い人なのである。
少年期、青年期、熟年期、老年期、それぞれの季節にふさわしい恋人がいて、さらには活動期もあれば休眠期もあったり不遇期もあったりで、おりおりの季節にふさわしい恋人がいるのかも知れんな、といったことを漠然と考えたりしたものだ。
それらの季節をひとりの恋人で賄う一穴主義者(失礼)もいれば、季節ごとに衣替えする人もいるわけで、そこのところはまあ人それぞれである。

ということで「理想の恋人」とは「季節の恋人」である、と無理やり結論づけて、次の語り手であるlomoさんにバトンタッチ。