アメリカ版「犬神」物語
今年最初の読書はウィルソン・ロールズの小説『ダンとアン』だった。
物語の舞台は米国オクラホマ州オザーク山地、時代は一九二〇年代後半。主人公はビリーという貧しい開拓民の少年で、彼は「犬を飼いたい病」と「アライグマ猟師になりたい病」にかかり、少年にできる仕事なら何でもこなし、骨身をけずって働き、二年がかりで金を貯め、アライグマ猟に適した二頭のクーンハウンド種の仔犬、ダンとアンを手に入れる。
それからさらに一年かけて仔犬たちを訓練し、ついに念願のアライグマ猟に出かけるのだが、犬とアライグマの描写の映像的な精密さはもちろんのこと、ビリー少年を取り巻く人間模様、父母や祖父の朴訥で暖かい情愛、オザーク山地の野性味あふれる大自然が読みやすい文章で描かれ、米国人には開拓時代後期の古き良きアメリカを懐古させるのか、一九六一年の出版以来、四十数年ものあいだロングセラーを続けているらしい。
穿った見方をすれば、ベストセラーではなく、ゆるやかなロングセラーになってしまった理由は物語世界のオリジナリティがいまひとつ欠けていたためだろう。
作者ロールズの少年時代の体験がベースになっているらしいが、作者が少年だった頃、ちょうど熟年期を迎えていた二人の先輩作家、アーネスト・トンプソン・シートンの『動物記』の要素が六割、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』の要素が三割、隠し味にマーク・トウェインをひとつまみといった感が否めない。
そんな感じで読み進めていたのだが、最終章が近づくにつれ、シートンでもワイルダーでもない、独自な世界観が見え隠れし始める。作者の母方にはチェロキー・インディアンの血が流れているそうで、実はこの物語はチェロキー族の「神話」をベースに二十世紀米国ドッグ・ストーリーに託した、言わばアメリカ版「犬神」の物語だったことに気づかされる。
ラストシーンの美しさは必見ものである。原題は『WHERE THE RED FERN GROWS(赤い羊歯の生える場所)』で、このタイトルに秘められたチェロキー族の伝説が最後に明らかになるのだが、あまり語るとネタバレになってしまうので、ともあれ、ぜひご一読のほどを。
ついでなので宣伝を。
この物語は、めるくまーる社さん(版元)の許可を得て、ティアオ・コーポレーション+スタジオ・カタチによるイヌ文芸サイト『愛犬日和』のオープニング企画として、第六章までウェブ上にアップすることになったので、ご高覧いただけたらありがたい。さらには紙の書籍版とは別に、全二十章それぞれに挿絵を載せた電子書籍バージョンとしてパブリッシュする予定なので、乞うご期待のほどを。
ちなみに私はこの本をデジタル・データで預かったわけだが、こんなに長文のテキスト(単行本にして約三〇〇ページ)をエディタで一気読みしたのは初めての経験だった。しかしあまりの面白さにディスプレイで読むことの不便さなんて感じることなく、正月早々、私の心はしばしの間、オクラホマ州オザーク山地へトリップしていた。
愛犬日和
自分で自分の尻を叩くためにお知らせを。
文芸サイト『マチともの語り』とタイアップして、近いうちに『愛犬日和』というサイトをオープン予定。ただいま鋭意制作中。もっと早くにオープンするはずだったのだが、三寒四温だったり、桜の花がきれいだったり、カフェウィークのイベントが楽しかったり、晩春の酒がうまかったりして延び延びになってしまった。しかしお知らせした以上、有言実行を目指したい。
ちなみにこれは愛犬自慢のサイトではなく、複数名の作家たちによる「犬にまつわる物語またはエッセイ」サイトである。人間が主人公の文芸が必ずしもハッピーエンドでないように、犬が主人公の物語も悲惨な結末が描かれるかも知れない。そういう意味でも、くどいようだが決して愛犬家のためのサイトではない。
マチともの語りさんから、NTTマーケティングアクト九州が発行する小冊子の春号企画として『犬たちがくれた素晴らしい物語』というテーマ(今年は戌年でもあるし)で何か書いてほしいと誘われたのがコトの発端だった。
ついでなので宣伝させたいただくけども、私の拙作を劇団ルースマンさんが朗読して下さり、現在『ポッドキャスト@FUK』で配信中。よろしければ私の駄作はともかく、他の作家さんの作品が素晴らしいのでぜひご傾聴のほどを。
私は猫好きでもあるのだが、今回は猫の話は措いて、あえて熱く犬を讃える話をさせていただく。
犬の魅力とは何か。独断で言わせてもらえば、それは人間臭さである。労働する猫は少ないけども、労働する犬は多い。警察犬、救助犬、牧羊犬、盲導犬などなど、犬たちは労働の汗を知っており、いまだ牧羊猫とか救助猫など聞いたことがない。猫はまあネズミくらい捕るだろうが、基本的に労働に役立たない愛人的動物である。ゆえに「猫の手も借りたい」というコトワザがあるのだろう。
昔、バスク地方(スペイン側)の山奥の村で、初秋の木漏れ日の下、うたた寝する牧羊犬に出会ったことがあった。その姿はいかにも疲労困憊、日々の過酷な労働の、ほんの束の間のささやかな休息を味わっているふうで、サラリーマンの後ろ姿の悲哀にも似た、ほろ苦い風情が感じられたものである。
こうした人間臭さこそ犬の魅力であり、猫のようにスマートではなく、ときにドン臭く、無闇に忠実で、お人好しだったりする彼らは実に物語になりやすいのではないかと勝手に想像し期待している次第なのである。